女性のアルコール依存症 ベティ・フォード 前編 あなたも酒をやめられる第二弾
【目次】
女性のアルコール依存症
お酒に出会うまで
結婚生活とさびしさと飲酒
アメリカ大統領ファーストレディとしての華々しく活躍
まとめ
はじめに
女性のアルコール依存症の回復のコツをご紹介します。シリーズ「あなたも酒をやめられる」の第二弾です。このシリーズでは、アルコール依存症を自分なりの方法で克服していった先人を取り上げ、生き様や知恵・工夫を見てアルコール依存症の回復のコツを発見していきます。
前回は、「彼氏」の名付け親の徳川夢声でした。「いったん停酒」という切り口で、酒をやめ昭和を代表する文化人として活躍されました。
今回は、第38代アメリカ大統領 ファーストレディとして活躍したベティ・フォード氏について、前編・中編・後編に分けてご紹介していきます。
ベティはその活躍の陰で、アルコール依存症・乳ガン・体の痛み(慢性疼痛)などを経験し、のちに、アルコール依存症・ガン・体の痛み(慢性疼痛)などのケアを行う、ベティ・フォード・センターを立ち上げました。
生まれながらのアルコール依存症(氏のお気に入りの言葉)であり、最高の回復者、治療者と言えるかもしれません。ですから、彼女の生き方には、女性のアルコール依存症だけなく、女性の依存症全般、摂食障害などのエッセンスが詰まっています。女性アルコール依存症にとっては宝のような存在です。
前編では、彼女の生い立ちからファーストレディとなるまでをご紹介します。
出生
ベティ(エリザベス)・ブルーマーは1918年、イリノイ州シカゴで生まれました。
年の離れた2人の兄がおり、母親はベティの出生について「シャンペンのボトルから飛び出した」と言っていたそうです。ベティ自身は、その言い方を、とても気に入っていました。生まれた時から、ボトル(酒)が付きまとっていたようです。
父親は出張で家を空けることが多い人物で、アルコール依存症でした。子供時代のベティは、いつも、さびしい思いで過ごしていました。
母親は美しく隙のない完璧な人で、子供たちにも完璧を求めて厳しくしつけました。完璧な母親は、ベティの理想であり続けましたが、どこかそのようにはできないと感じる自分もいました。
お酒に出会うまで
お転婆で、子供のころからダンスが大好きなベティは、青春時代はダンスと男の子とのデートに明け暮れました。18歳からダンススクールに通いだし、より本格的な指導者を求めて、ニューヨークに移り住みますが、そこで、仲間たちと飲み会に耽り、何度かブラックアウトも経験したようです。「仲間の一員になりたい」という思いから、そのような生活をやめられませんでした。結果、ダンスを断念せざるを得なくなりました。
結婚生活とさびしさと飲酒
24歳で結婚。結婚当初はアパートにお酒を置くこともありませんでした。しかし、夫は頻繁に出張する人で、家に残され、さびしい日が続くうちに、だんだんとお酒に手を出すようになり、27歳で離婚。彼女は当時を「私は幸福ではなかった。夫が家にいる時ですら幸福ではなかった」と語ります。
30歳で弁護士ジェリーと再婚しますが、結婚してすぐに夫は議会選挙に立候補し、会合や資金集めに飛び回る生活に移りました。また、夫に家に取り残される日々が始まったのです。ベティは、そのさびしさを、子育てとお酒と痛み止めの薬で紛らわせていきました。巡り合わせが悪いことに、政界はお酒の機会にあふれていました。パーティー、資金集め、レセプション…。多い日には一晩で3つのパーティーに参加しました。首の痛み止めの薬も効かなくなり、医者は言われるままに薬を多く処方し、そのうち、どんどんと増え、痛み止めの錠剤をアルコールで流し込む生活が始まりました。
ファーストレディとして華々しく活躍
1974年8月9日、夫がアメリカ合衆国大統領になりました。ベティ56歳の時でした。
「人生で一番悲しかった日は、夫が合衆国大統領になった日」「命じられるままに動く、舞台に乗せられた俳優のようだった」と回想しますが、彼女はファーストレディとして華々しく活躍しました。
世界の元首を迎え、市民運動を支援し、マスコミと応対し、諸外国を訪問しました。
また、乳ガンを患い手術を受け、そのことを公表しました。当時、十分に認知されていなかった乳ガンの早期発見の重要性を認識し、啓発活動に努めました。
そのほか、様々な活躍を通して、世界中に広く知られる人物となりました。責任も重く、スケジュールも過密で、お酒を飲む暇もなく過ごしていたため、この時期、症状は安定していました。
公人として「国の役に立っている」という感覚があり、虚しさを感じることなく、お酒に手を出す必要がなかったのではないかとも思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回は、ベティ・フォード氏の生い立ち、ファーストレディになるまでを見ていきました。
氏の人生からは、女性がアルコール依存症に至るまでの姿がとてもよく表れています。
アルコール依存症で家を空けがちな父と、完璧主義の母の間に生まれ、
若者グループの中で飲酒を覚え、
結婚後は虚しさ・寂しさ・不全感からアルコールや痛み止め薬に依存し、
アメリカ大統領ファーストレディとして多忙となったころには、一時的に症状が安定していきました。
中編では、ファーストレディを引退後にアルコール依存症が悪化し、それを克服した後、ベティフォードセンターを立ち上げるまでを見ていきます。
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<アルコール依存症についての記事はこちら>
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関連する情報
監修
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【出身校】名古屋市立大学医学部卒業
【保有資格】精神保健指定医/日本精神神経学会 専門医/日本精神神経学会 指導医/認知症サポート医
【所属】日本精神神経学会/日本うつ病学会/日本嗜癖行動学会理事/瑞穂区東部・西部いきいきセンター
【経歴】厚生労働省認知行動療法研修事業スーパーバイザー(指導者)の経験あり。2015年より瑞穂区東部・西部いきいきセンターに参加し、認知症初期支援集中チームで老人、高齢者のメンタル問題に対し活動を行っている。日本うつ病学会より「うつ病の薬の適正使用」のテーマで2019年度下田光造賞を受賞。
【当院について】名古屋市から、「日本精神神経学会から専門医のための研修施設」などに指定されている。
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